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ブログ「ソマティック・エクスペリエンス」一覧

 

お立ち寄りくださいまして、ありがとうございます。

カウンセリングルーム・フィーレストの日高潤子です。

 

 

写真@宮崎2

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

↑↑ 写真は、先日の宮崎出張での自撮りですハートたち (複数ハート)

 

 

 

さて、以前、身体の感覚を感じるコツについて書きました。

 その記事はこちらの2つです ↓↓

 

 

川の流れのように、身体の感覚を観察します(前半)

川の流れのように、身体の感覚を観察します(後半)

 

 

 

 

今日の記事は、これと関連して視線について書いてみますね。

 

 

この過去記事を読んでくださって気づかれた方もおられるかもしれませんが、

視線ってとても大切なんです。

 

 

 

というのも、注意がどこに向いているかということと視線の向きは、

とてもリンクしているので。。。。

 

 

注意が自分の内側に向けられているとき、

しかも、不快な感覚や記憶、イメージにアクセスしているとき・・・・・・

視線は、たいてい下を向いています。

 

 

ゆううつな気持ちであれ、心臓がドキドキする感覚であれ、

イヤな出来事の記憶であれ・・・

 

その中に入り込んでいるときは、

ほぼ必ずといっていいほど、視線は下向きなのです。

 

そして、目の焦点は具体的な物には結ばれていません。

(何かをはっきりと見ているという感じではありません)

ときには、何も見ていないのに、

何かに視線がはりついているかもしれません。

 

 

反対に、注意が外側に向けられているとき、

視線は、見ているものや聞いているものに向けられています。

または、自然に正面か、その周辺に向けられます。

 

 

これを知っていてうまく使うと、視線の向きを変えることで

注意の向きを変えることができます。

 

たとえば、頭の中で今日の失敗について

自分を責める思いがグルグルうずまいて、どうにも苦しいというとき・・・、

 

わたしたちは、その思考に注意を向けて味わい、

そうすることで苦しんでいます。

 

楽になるためには、その思考をなくそうと努力するよりも、

ただ視線の向きを変えて、思考に注意を向けないということのほうが

役立つことがあります。

 

 

まずは、自分の視線が(たぶん)下に落ちているので、

そのことに気づいて、視線をあげます。

そして、ゆっくりとまわりを見渡してみます。

 

以上。それだけです。

 

 

ポイントは、ゆっくりと見渡すこと。

 

 

そうすることで、入り込んでいた内側の世界(この例では思考)から

ふっと抜け出し、今まで気がつかなかった

まわりの物や人に気がついたりします。

 

 

ああ、今日はいいお天気なんだな。

こんなところに、花が咲いていたのか。

 

など、・・・なんでもいいのです。

 

 

何でもよいので、目に入ったものをただ静かにながめてみる。

 

「この花の名前はなんだっけ?」などと、いそがしく頭を働かせたりせずに

花びらの色のグラデーションやそれぞれの葉っぱの色の違い・・・

そんなことをただシンプルにながめてみます。

 

 

そうしているとき、さっきまでどうやっても消えなかった自分を責める思考が、

静かになっていることに気がつくかもしれません。

 

 

 

これは、つまり、何が起こったかというと・・・

 

頭の中の思考とたたかったり、思考を消したりするのではなく、

頭の中の思考に注意を向けることをやめてしまう。

注意を思考以外のものに向けかえてしまう。

 

ということをしたのです。

 

 

私たちは、自分が注意を向けたものを体験します。

 

視線の向きを変えることによって注意の向きを変え、

不快な感覚(または思考や感情)に向いていた注意を

それ以外のものに向けかえたということです。

 

 

それによって、楽になることってたくさんあります。

 

 

セッションでは、

「あれ? さっきまで痛かったのが痛くない?!」

「そういえば、さっきまでグルグルしていた考えがなくなってますね(笑)」

ということが本当によく起こります。

 

 

「日高さん、魔法使った?」

と聞かれることもよくありますが、

もちろん、そんなわけありません(笑)。

 

 

これは、「私たちは自分が注意を向けたものを体験する」という

シンプルな法則を皆さんが実感してくださっただけなのです。

 

 

逆に言うと、楽になるのは、こんなにも簡単だということです。

 

 

この法則を実感してくださった方は、

 

「私はこれまで痛いところにばかり注意を向けていたんですね。

 実は痛いところの方が少ないのに」  

 

とか、

 

「私の身体にもつらくない部分があったんですね。

 全身どこもかしこもつらいといつも思ってました」

 

などとお話し下さいます。

 

 

もし、同じように、グルグルして止まらない思考や

不快な感覚でお困りの方がいらしたら、

視線の向きを変えてみる・・・・をお試しになってみてくださいねわーい (嬉しい顔)

 

 

 

footpath and trees in park

 

この話、ときどきクライエントさんにシェアするのですが、
役立つことが多いようですので、ブログにも書いてみますね。

 

私がまだソマティック・エクスペリエンスのトレーニング受講生だったときのことです。

もう5年ほど前のことでしょうか。

 

受講生は、一定時間以上の個人セッションを受けることが課されています。

私も、当時のアシスタントたちから、せっせとセッションを受けていました。

 

そうした中のあるセッション・・・アレ・デュアルテというブラジル人の
男性ロルファーさんとの通訳を介してのセッションでのこと。

 

それぞれ席について、さあ、いよいよ始めましょう!というタイミングで、
こんなやり取りがありました。

 

アレ 「Junko、SEでは劇的なことは何も起こらなくていいんだよ。劇的なことが起こるのを期待しなくていいんだ」

わたし 「はい・・・・・・???」

アレ  「なぜ僕が、いまこう言ったのだと思う?」

わたし 「・・・私が・・・劇的なことを期待していると思ったから・・・??」

アレ  「そう!(笑)」

わたし 「そんなつもりはなかったけれど(笑)、じゃあ、それを意識してみますね」

 

 

こうして始まったその日のセッションは、ほんとうに素晴らしいものとなりました。

 

まるで静かな深い瞑想のような経験であり、

身体に波紋のように静けさが広がっていく時間でした。

 

特に強い感情を感じることもなければ、身体のどこかが大きく動くこともなく、

脊柱が目には見えないほどわずかに振動しましたが、他には目立ったふるえもなく。

 

SEを知らない方がはたから見たとしたら、ただ座って息をしているだけ・・・
に見えたのではないかと思います。

 

でも、これは、ほんとうに身体の深い深いところが癒された時間だったのです。

ずっと昔のトラウマが癒されたセッションでした。

終わったときの身体の感覚で、そのことがわかりました。

アレも、「そう! これだよ、Junko。 素晴らしかったよ」と言ってくれました。

 

 

SEのことを少し知っている人なら、セッションで解放、完了が起こるのを期待します。

 

身体がふるえるとか、
身体が勝手に動くとか、
怒りを短時間で解放して楽になるとか・・・
そんなことが劇的に起こって、たった一回のセッションで症状がなくなる・・・

というようなことを。

 

まあ、たしかにそういうことも、SEではよく起こるのです。

 

あの日の私も、意識せずにそうしたことを期待して、力が入っていたのでしょう。

 

 

でも、あのセッションで、そのようなことは目立った形では起こらず。。。。

それでいながら、深い癒しは生じていました。

 

このとき、私が身をもって学んだことは

すべての期待を手放すこと、

ただ自然に起こることに身をゆだねること、の大切さでした。

 

自分で何かを起こそう、解放しよう、症状を癒そう・・・とするのではなく、

ただ、時間とスペースを身体に与え、待つこと。

 

そうしたとき初めて、そのとき必要なことが起こってくる。

だから、その起こってくることに、ただついていくということ。

 

 

SEの本質はそのようなことなのだなと、身体を通して実感したのでした。

 

 

よくなりたい、楽になりたい、という思いでセッションを受けてくださるのですから、

「解放が起こるといいな」

「今日は〇〇を解放しよう」

「早くこの症状がなくなってほしい」

・・・という期待があるのは自然なこと。

 

 

それでも、セッションが始まるときには、それを一度忘れることができるといいですね。

 

そのほうが、本当に起こる必要のあることが起こってきますから。

期待はプレッシャーや緊張となって、それが起こるのを妨げてしまいますからね。

 

 

Fresh bamboo leaves over water

 

 

ソマティック・エクスペリエンスのセッションでは、クライエントさんにご自分の身体の感覚を

観察してもらいます。

 

私はそのやり方を説明するのに、よく

「川のほとりにいる人のように」

といっています。

 

川の水面をきれいなもみじが流れてきても

レジ袋のようなゴミが流れてきても

まさかの1万円札が流れてきても(!)

ほとりにいる人は、ただそれらをながめるだけ・・・。

 

きれいなもみじがきても、「もっとたくさん来ればいいのに」と期待もしないし

レジ袋をみて、「だれだ! ゴミを捨てたのは!」と怒るわけでもないし

1万円札が流れてきても、拾いに行ったりもしません(笑)。

(いや、これは行きたいですが、拾いに)

 

ただ、流れに乗ってやってくるものが、流れに乗って去っていくのを見ているだけです。

 

これと同じことを、身体を通り過ぎていくさまざまな感覚に対してもやってみるのが

ソマティック・エクスペリエンスのセッションなのです。

 

おなかがあたたかくて気持ちよい感じも

肩こりの痛みも

焦ってソワソワする感覚も・・・・

 

「これはよいもの」とか、「これは悪いもの」などと判断せず

「もっと増えてほしい」とか、「なくなればいいのに」と期待もせず

「ああ、ここにあるなあ」「こうしてながめていると、次はどうなるのかなあ」と

ただ観察します。

 

少し余裕があるなら、その感覚にたいして

「そこにいていいよ」

「気づいているからね」

と話しかけるようなイメージでながめてみます。

 

そうすると、自然な身体のはたらきによって、終わっていなかった過去、

つまり、ソマティック・エクスペリエンスでいう「未完了」の過去が

「完了」にむかって動き始めるのです。

 

そのプロセスは、さまざまな感覚の連続によって進んでいきます。

 

そうはいっても、不快な感覚を感じるのはつらいですよね。

ですから、不快な感覚の観察にはちょっとしたコツがあります。

 

別にひっぱるつもりはないのですが(笑)、長くなりそうですので、

それについてはまた別に書きますね。

 

ブログ図 観察川

 

昨日、ふとこの言葉が浮かんだので・・・。

 

ソマティック・エクスペリエンスの創始者、ピーター・リヴァインの言葉の中で

私の大好きなものです。

 

「誰もあなたのプロセスを代わりに体験してあげることはできない。

 けれども、誰ひとり、それをたった1人でしなければならない人はいない」

 

口から口に、伝え聞いたものですので、細かいところは私なりの表現ですけれども、

思い出すたびに胸のあたりがあたたかくなる言葉です。

 

30年以上のたゆまぬ実践と研究によって、多くの人を救ってくれているピーター・リヴァイン。。。

彼のことを思うたび、伝えたい思いはただこれだけです。

 

ほんとうにありがとう。

 

 

ロウソクと蘭の花

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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セラピスト日高じゅんこのプライベートブログはこちら

 

 

こんばんは。

「その1」からずいぶんあいてしまいました<(_ _)>

アメリカ、コネティカット州でのマスター・クラスについてのご報告 その2です。

マスター・クラスというのは、ソマティック・エクスペリエンスのトレーニングを受講中のセラピストと、すでにトレーニングを終えてプラクティショナーに認定されたセラピストが参加し、創始者のピーター・リヴァインから直接学ぶクラスです。

このセミナーは、毎回、ことなるテーマに焦点をあてていますが、今回のテーマは、

「うつ、ヘルシーアグレッション(健全な攻撃性)、ライフエナジー(生命力)」

でした(訳は日高によるものです)。

 

とても豊かな内容でしたので、ここではほんの一部のご紹介になりますが、ポイントだけでも皆さんと分かち合えればと思います。

 

まずは、うつについて、その全体像がピーターから説明されました。

復習でもあり、SEを応用するためのポイントを確認するためでもあったと思います。

大きく2種類のうつにわけて説明され、SEとしてはどのように対応していくのかを学ぶことができました。

うつの分類はいろいろありますが、ここでは以下の2つに分けて説明されました。

------------------------------

〇 イントロジェクティブ・ディプレッション

理想がたかく、自分に厳しく、自分を責める思考の影響が強いタイプのうつ。

〇 アナクリティック・ディプレッション

幼少期の影響により、対人関係にしがみつく、または拒否する、あるいはその両極端で揺れ動くなどの特徴があるうつ。

-------------------------------

ソマティック・エクスペリエンスは、身体(神経系)だけを重視して、ものの考え方(認知)にはあまり注意を払わないと思われがちです。

わたしも今回とても新鮮に感じたのですが、ピーターは認知を入口として身体へはたらきかけるやり方を教えてくれました。

たとえば、「私は役立たずだ」「わたしには価値がない」などの、あまり現実的ではなく、人生を不自由で苦しいものにする思い込みを持っている人がいるとします。

セッションでは、そのような思い込みを一つとりあげ、何回か声に出して言ってもらいます。

そして、そのときに身体に起こる感覚に気づいてもらうのです。

さまざまな不快感がおこってきますが、それらをコントロールせず、よい/悪いと判断もせずに、ただ気づいていきます。

そうすることによって、ふるえや涙などの身体の反応をとおしてトラウマ・エネルギーを解放していくのです。

ソマティック・エクスペリエンスは、認知に関心を払わないわけではありません。

ただ、身体にはたらきかけてトラウマ・エネルギーの解放が起こると、ほとんどの場合、その結果として自然に認知が変化します。

私がセッションを受けた経験でも、何年もの間、努力しつづけても変わらなかったネガティブで頑固な思い込みが、トラウマ・エネルギーの解放のあとは自然になくなっていました。

セラピストとしても、クライエントさんが解放を経験すると、必ずと言っていいくらい認知の変容が起こるのを見てきました。

SEでは、身体からはじめて → 結果的に認知がかわる のですね。

それが、今回まなんだやり方では、

認知からはじめて → それをきっかけとして身体も変わる という逆方向だったわけです。

 

心(認知)と身体は、お互いに強く影響し合っていますから、どちらから始めてももう片方に影響が生じます。

自らのネガティブで強力な思い込みに苦しんでいる人にとっては、認知からスタートするこのアプローチもとても役立つことでしょう。

私のセッションでも、ぜひ取り入れていくつもりです。

 

もう少し、皆さまと分かち合いたいことがありますので、「つづく」とさせていただきますね。

 

会場の室内写真を少しご紹介します。

すぐ下の写真は、受付前のスペースです。無造作にテーブルや椅子が置いてあるだけのスペースなのに、とてもおしゃれで素敵な空間でした。

DSC_0048

 

 

 

 

 

 

 

次の写真は、食堂前のソファが置いてあるスペース。皆さん思い思いに、ここで語らっていました。私は、最終日の夜中に一緒に行った仲間とここでおしゃべり。ねむくてたまらないのに、名残おしくていつまでも・・・。

ロビーresize

 

 

 

 

 

 

 

最後の写真は、客室が面している廊下です。これが廊下なんですよ。ここでパソコンを使う人、寝る人、瞑想する人、皆さん自由でした!

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セラピストのの日常をつづったプライベート・ブログです。よろしければ、こちらにもどうぞお立ち寄りください(*^_^*)。

 

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